「コンプライアンス経営は輸出管理から」その2

リスクマネージメントとして見た輸出管理
中村サブラヒ・テクノロジスト事務所
所長 技術士(化学部門) 中村博昭

2.日本政府の対応

これまで平然と行われてきた我が国産業界の不法輸出に係わる由々しき現状が、国際問題にまで発展することの重大性を漸く認識した日本政府は、1987年9月4日に外為法改正案を国会成立させた。 それを待って通産省は、安全保障輸出管理が法規制による対応だけでは再発防止が不可能と判断し、法令改正と併行して各主要企業団体に対して自主的な輸出管理コンプライアンス・プログラム(以下CPと略す)の策定を要請することになった。 通商産業大臣から産業界に対し、CPの整備を柱とする通達が公布されたのである。 我が国の法体系は、図1のようになっている。政令は国会での承認が必要であるが、実務的に重要な意味を持つ省令以下の諸規定は、各省の裁量によって下されることになっている。
輸出規制関連法規の遵守というのは、これらの法令を全て忠実に守るということを意味し、少なくとも輸出管理の担当者は、省令以下の諸規定に精通していなければならない。 法を守るという人間として極めて当然のことを敢えてコンプライアンスという耳新しい英語の言葉で表現しなければならなかったところに、再出発を期す日本の苦しい事情が察せられる。 先の違反事件の成立から実に4年半をかけての苦くもあったが、自由主義国家陣営の一員としての責任を果たそうとする重い決断であった。 やや専門的になるが、法改正の中心は、罰則の強化であり、時効が3年から5年になり、罰金が契約額の3倍から5倍に、上限が100万円から200万円になった。 税関での輸出申告で見つかった場合は、未遂罪が適用されて罰せられる(従来は罰せられず)。 また規制の対象が従来貨物のみであったのが、更に技術をも含むこととなった。最も重いのは行政制裁、即ち3年以内の輸出および技術提供の禁止である。 更に輸出承認を受ける際には、申請企業に対して法令遵守の決意表明に相当するCPを添付することが求められたのである。
大臣通達を受けて各企業ではCP制定プロジェクトが一斉にスタートした。 法を守る主役が、官から民へ代わったと言える。 これが整わないと輸出業務を円滑に進めることができないという事態になったわけで、輸出関連企業にとっては死活に係わる重大局面を迎えたわけだ。 これまで如何にして国、役所が管理する法規制を免れるかばかりを考えていた個々の企業にとっては、今後は自らがそれを管理することになり、180度の発想転換が必要になった。 それまでまったく頭に無かったCSRと言う新しい概念が初めて我が国の実務現場に具体的な形で取り入れられたと言って良いであろう。 しかも、企業倫理というような漠然とした内容ではなく、極めて厳しく法規で定義され、体系づけられた輸出業務に伴う基本動作のコンプライアンスなのであった。
さてこの法規改定から30年を経た現在、我が国の安全保障輸出管理にかかわるコンプライアンスの意識は本当に改善されたのであろうか。 実態が如何なるレベルにあるのかを具に検証して見たい。
先ず、この30年間に安全保障輸出管理をめぐる国際情勢が大きく変化したことを念頭に入れて考えなければいけない。 1991年末のソ連崩壊により、それまで40年余りにわたって続いていた東西冷戦構造は終焉した。 ここで冷戦が終結したのであれば、ココム規制はもう不要なものと考えがちであるがそうではない。 ココム対象であった一部の国々、具体的にはハンガリー、ポーランド、チェコ、スロバキアの東欧4カ国やスロベニア、エストニア、ラトビア、クロアチア、ボスニア、 ヘルツェゴビナ等旧ソ連のロシアをはじめとする共和国は政治的に未だ不安定であり、また膨大な量の核兵器を保有し、強大な軍事力を持っているため、依然として西側諸国の戦略的脅威である。 一方、冷戦解消の反動でそれまで抑えられていた民族や宗教、独立の問題が世界の各地でわきあがり地域的な武力紛争が多発している。主なものだけでも、イスラエル・パレスチナ紛争、キプロス紛争、 イラン・イラク戦争、インド・パキスタン紛争、湾岸戦争、チェチェン独立紛争などがあり地域紛争が世界中到る所で起きている。
世界の安全保障を確保する新しい枠組みを主要各国が協議した結果、従来のようにその対象が対共産圏向けという特定された地域ではなく、全世界を対象にした不拡散型輸出管理と呼ばれるものになった。 即ち大量破壊兵器等の拡散防止を目的とした輸出規制である。 これらの取り組みが急激に世界の注目を集めることになったのは、イラン・イラク戦争(1980-1988)、そしてイラクのクウェート侵攻後の湾岸戦争(1991年)においてである。 この場面での役者は全て安全保障輸出管理の規制の枠をすり抜けた違法輸出の品物ばかりであったが、その有様がメディアを通して世界中に実況中継されたという現実を私たちはもっと深刻に受け止めなければならない。 即ち表向きは武器禁輸政策を掲げ平和国家を標榜する日本であるが、世界中が注目する大きな紛争の主役達が実は、高性能を誇る我が国のハイテク製品見本市であるかの様相であったということだ。 湾岸戦争後に行われた国際原子力機関(IAEA)等によるイラクの査察報告において、従来の規制対象となっている貨物の他に、汎用性が高く、広く民生用途を有する貨物が大量破壊兵器等の開発等に使用されていたという事実が、米空軍や米商務省の資料から明らかになった。 それを私たち日本国民が知らされたのは、1998年のことである。 外為法の時効は5年と定められているから法律的には違反者を追求する意味がなくなっている。 また、責任官庁である通産省(現在の経済産業省)担当課の課長がメディアに語ったコメントは、「企業からの申告がない以上、規制対象品が外国の兵器に使われた事実はないと認識している。 そうなれば、自由経済の範囲のものということになり、問題ない」ということであった。これでは、かつて非常に苦い経験をした「東芝機械のココム違反不正輸出事件」の教訓が全く生かされていない。 しかし、実際問題として申告書類の内容と自らの定めた法規との照らし合わせしか行わない役所の取り組みでこの不正輸出を未然に裁くことができないのは当然で、 ましてやハイテク貨物が何であるかの知識もなくただひたすら輸出品目の種類と数量、金額をきちんと統計表に計上、分類することを最大の目的とする税関の係官には、 全くこの種類の不正をとめる関所の機能を期待する方が無理と判断せざるを得ない。当時からみて10年前の「東芝機械のココム違反不正輸出事件」の教訓がまったく生かされておらず、「もう一つの失われた十年」と言っても良いであろう。 せっせと作った「仏」にまるで魂が込められてなかったのである。
江戸時代、徳川幕府は江戸の治安を守るという名目で主要街道が大河川や山脈を越える地点に関所を設け、特に「入鉄砲と出女」を厳しく取り締まった。 「入鉄砲」とは江戸に武器を持ち込むことで、「出女」とは江戸に住まわせている大名の妻子が国許にこっそり帰ることである。 この二つを取り締まることで、江戸幕府は200年以上にわたって大名の謀反を未然に防止したのである。 箱根関所は二代将軍徳川秀忠によって1619年に開設された関所で、四大関所のひとつとして重要視されとくに出女に対する調べに重点が置かれ、人見女と呼ばれた検査官が女性の髪や衣服の中まで厳重にチェックしたという歴史が残されている。 極めてプロ意識に徹した実効性のある安全保障システムであったようだ。 我国の税関には、これくらいの毅然としたプロ意識をもって、日本の港からの不法輸出は絶対に許さないという現代の関所の役割に対する気概を世の中に示していただくよう期待するものである。 このような姿勢が、不祥事を繰り返しても旧態依然のままで天下泰平の気分からなかなか抜け出せないこの社会に、ピンと張り詰めた緊張感を与える効果は大きい。 現代の社会システムには、結果を出すためのプロフェッショナリズムが求められている。

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